2015年1月17日土曜日

英語に掛ける予算を学校図書館に

船橋公立小中学校教育の問題点(小学生には英語より読み書き計算)

読み書き算盤を子供に教えるのが学校の仕事です。
これは学校制度が始まる前の寺子屋の時代でもそうでした。読み書き算盤の算盤は今の時代ならば計算と言い換えても良いでしょう。

とにかく、字の読み書きを教え、計算を出来るようにするのが寺子屋や学校の一番大事な仕事でした。現代でも変わりはありません。

ところが、我が国では平成二十三年度から小学校五・六年に英語が導入されます。国の方針です。小学校に英語を満足に教えられる先生はいないのに、です。大学の小学校教員養成課程に英語教育法が導入される以前の小学校の先生が現在の学校には圧倒的に多いからなのです。指導者不在の問題の他にも我々が考えなければならない根本的な問題があります。
それは、小学校に英語が必要か否かという問題です。

我が国で英語がもっとも必要とされた時代は明治維新直後の文明開化の時代ではなかったでしょうか。当時は外国の新知識を導入するのに御雇い外国人に高い給与を払って外国語での授業が大学では為されました。

顕官の婦人連は鹿鳴館に集うて社交ダンスをして見せました。実際に初代文部大臣森有礼は国語での教育を止めて英語での教育を考えたのですが、アメリカの友人にたしなめられました。
外国の殖民地でもない我が国にあっては初等教育では母国語習得こそ常識的だからです。私は従来通り中学からの英語で十分だと考えます。

我が船橋は平成十八年から小学校一年生から英語活動と言う授業をとり入れました。小学校には英語を満足に教えられる先生は少ないから、担任の先生と外国人の先生の二人でで教えさせています。

これに要する金が年間三億円です。当然ながら小学校の先生方には極めて不評です。
文科省も船橋市教委も入れ物のないところに水を注ごうとしているのです。
寺子屋も学校も必要とされるのは、読み書き算盤という知識が大人になったときに是非とも必要だからです。

教え、体得させておかなければその子が独り立ち出来ないからです。
極論すれば英語は知らなくとも我が国では生きていけます。
私には、己の名前さえろくろく書けない一年生に英語などとは考えられません。
ものには順序があります。本立って道生ずとも言います。

昔から学校や寺子屋には書物がありました。
勉強が進んだ子は先生や学校の図書館の書物を読んで学問を深めたのです。時代が変わった今でも学校図書館は子供にとって大変大切な勉強の場所です。

英語に向けた予算を学校図書館の充実に向けるべきです。
生涯学習と言う言葉が一昔前に流行しましたが、生涯学習とは自分の教養を日に日に深めて行くという意味でしょう。

読書はそのもっとも有効な一つの方法でありましょう。

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